2012-08-30

一億総派遣社員 Part2


国とは大きな人材派遣会社ではないか。

3年ほど前に派遣会社の理不尽さに憤りを感じていたときに気付いたことですが、今朝まで完全に忘却していました。

子供を作り、教育し、優劣のレッテルを貼ったのちに生産現場に配備する。
生産現場に配備された国民は税金・社会保険料という名の上納金を納めつつ次の世代を作る。
国は国民という生産者を生産現場に供給し続ける大きな派遣会社なのだろう。

たったこれだけの思い付きではありますが、そう思うだけで色々な事象が簡単に思えてくるから不思議です。

2012-08-02

ピスタチオの殻 再利用

ピスタチオ、カシューナッツ、アーモンド。どれも香ばしくておいしい。
しかし、私の好みを購入実績から分析すると6:2:1で圧倒的な差でピスタチオに軍配があがる。

今日もピスタチオをボリボリと頬張りながら山盛の殻を眺めて「もったいないなぁ」と心の中でつぶやく。
でも今日はいつもと違います。ググってみました。なぜ今まで気付かなかったのだろう。そう、みんなの意見を聞いてみればいいんですよね。

しかし、残念ながら秀逸なものは少なかったようです。
それでも1番実用的と思われるのが、
・クルミの殻同様、スタッドレスタイヤに粉砕した殻を混ぜる
というもの。確かにね。でも、なんというか「違うんだ!」という、もやもや感がぬぐえません。

彼らの、軽く、堅く、小さい、バランスの良いフォルムを有効利用したいのです。

2番目は、
・鉢植えの根覆い(これは水はけのよい排水用の土として使うんだと思うんだけど)
・ナメクジやカタツムリ除け(とがった部分や塩を嫌うらしい)
などが、無難なところに落ち着く感じでしょうか。
「発酵させると肥料に」というものもありましたが、発酵ってどうやるの?

その他「チェッカーやモノポリーの駒」なんてのもありましたし、
「カタツムリのヘルメット」には笑いました。
「枕の中身」ってのもありましたけど、どんな感触になるんでしょうねw

ゲーム系はいいかもしれませんね。
・片割れを探す神経衰弱
・将棋の駒
・黒白に塗ってオセロの駒
・コインの代わり

ゲームじゃないけど
・板一面に張り付けて足つぼマッサージ
・付け爪にして猫と闘う
・シールはがし
・ギターピック
・マラカスみたいな楽器


駄目だ。
やっぱり「カタツムリのヘルメット」が最適解かもしれません。

2012-07-31

マニュフェスト

垂れ流されるマスコミ報道を眺めながら、本筋と異なるためついつい頭の後ろに追いやっていたが、ふと違和感を感じていたことを思い出した。

テレビの多くのコメンテーターが、「マニュフェストは必ずしも守らなくてよい。ただ、説明責任は果たすべきだ」などと幾度となくつぶやいていた。
また、その他にも「本来マニュフェストとはポリシーを説くもので具体策など記述しない」や「具体策を記述するもので信念などを記載するものではない」等々。

「マニュフェスト」の本来のあり方や作法などはこの際どうでもよいだろう。もっと言えば「マニュフェスト」という括りであるか否かも問題ではない。

自分の「思い」や「考え」を発表し、他者から多くの賛同を得て、采配する権利を得たのだから「思い」や「考え」を実現するのは当然のことだろう。
そこにはいかなる言い訳の余地もないと思うのだが、汚物のような解説が公共の電波を使って垂れ流されていたように思う。

「賢い」といわれる人が賢そうに話していると何でもそんな気がしてくるから不思議なものだ。

私は「嘘つきは泥棒のはじまり」と教えられた世代だが、最近は「勝てば官軍、負ければ賊軍」としか教えないのだろうか。

2012-07-17

さかなクン

中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。
いばっていた先輩が3年になったとたん、無視されたこともありました。
突然のことで、わけはわかりませんでした。でも、さかなの世界と似ていました。
たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。
せまい水槽に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃し始めたのです。
けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。
すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。
助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。
いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。
広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、
なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。
中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。
ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。
でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。
学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、
その子はほっとした表情になっていました。
話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、
だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。
ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。
大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、
悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。
外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。
広い空の下、広い海へ出てみましょう。

    東京海洋大客員助教授・さかなクン

今日ネットで見つけました。言葉に詰まってコメントできません。でもとても繊細で大きな心を感じます。
「小さい世界に閉じ込めると、何故かいじめが始まるのです。」理由は分らないまでもなんとなく分ります。芯のしっかりした人が居ることを知ると不思議と落ち着きます。私自身もしっかりしていたいと思いました。

2012-07-11

いじめの定義

今日お昼のテレビでコメンテーターがいじめの定義を紹介してくれた。
「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」が、いじめであるらしい。

これは2007年以降の文部科学省が定めたもので、以前は、「①自分より弱い者に対して一方的に、②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、③相手が深刻な苦痛を感じているもの。」というものだったらしい。
いずれかひとつでも条件に外れれば「いじめ」と断定できないため、裁判で不起訴になることもあったとのこと。

定義としては、今のものでまずまずではないだろうか。

わが子には「もし、いじめにあったなら泣きながらうんこもらして逃げ帰ってもよい。」と教えている。それ以上にいじめという行為が恥ずかしいものであると言いたいのだが、果たして本質的であるか疑問も感じる。

とにかく、「強者もしくは多数派からの一方的ないわれのないしつこい嫌がらせや攻撃」には「脱糞して逃げる」は最適解ではないだろうか。(もちろん、脱糞する必要はないし、さらにそれをネタにされるような深刻な状況下では言うこともはばかれる。)

あるとき、息子が私に相談してきた。「A君が僕にスケベと言ってきた。クラスの僕の席が女の子の真ん中に位置するのが理由。別にそれが目的で座席を決めたわけではないのに。」とのこと。
また、「A君自身も女の子と熱心に話をしてたりして自分のことは棚上げだ」と続く。
ちなみに息子は小学六年生。

本人はそれなりに苦しんでいるようだった。自分の気持ちは違うのだけれど事実関係からきっぱりと否定することもできず。「違う」と言うしかない空しい抵抗に憤りを感じているようだった。
もちろん、自殺を思い詰めるレベルではない。

私は咄嗟に「いじめと嫌がらせは違う。言葉に窮するからと言ってすべてといじめとして逃げることはおかしい」と答えた。
親としては1対1なのだから戦ってほしいという思いで発した言葉だった。

確かにクラス内では、言葉でも力でもA君の方が上のようである。
これが複数の友達から囃されていたのなら状況は違うと思うが、あくまで1対1のようなのである。

子供であるからすべてを親に語ることができないのかもしれない。A君の周りには言葉は発さないまでも仲間の目が攻撃していたのかもしれない。
そうした微妙な力関係に配慮せず、額面通りに受け取り一蹴したことは間違いだったかもしれないと、ここへきて思う。

大人世界には当然いじめがある。格差社会は作られたものだし、消費税増税、国の借金も東電の値上げも、原発推進も天下りもすべて弱者への負担で成り立っている。
強者は言う「社会の構築・維持に一番大きく貢献しているものが良いものを得るのは当然だ。貢献度が少ないものはそれなりのもので満足すべきである。そうがっつきなさんな」と。

人権や人間の尊厳と経済とをいっしょくたに論議するのはおかしいだろうか。文化・文明は経済に裏付けされたものと捉えるのが科学的だろうと思う。(士農工商が成り立たなくなった歴史を見ればよくわかる)

それにつけても、子供の教育は難しい。

2012-06-28

造反組だけを報道しているけど

民主党の造反組だけをなんだか報道してるけどおかしくないですか?

そもそも、行政改革らしきものが何一つ見当たらないところで、「足りないから増税します」ということを民主党が最初から言ってましたっけ。
政局追ってるのって面白いんですかね。見てる方はまったくつまらないんですけど。

というわけで賛成した議員さんたちを眺めたいと思います。
個人名については、別途リストを参照していただくとして、当初の民主党への期待(日本政治のへの期待)がどのような結果になったかを確認しておきたいと思います。
下記は賛成議員、反対議員を集計したものです。細かくてあんまり意味はないと思いますが、折角作ったので載せさせていただきます。


この表から感じたことが一つだけあります。
民主党の比例枠でありながら「反対票」を投じる方がいらっしゃったことは、同じサラリーマンとして勇気ある行動と賞賛したい気持ちになりました。とはいえ、実際は色々な思惑や駆け引き、利害関係があった上でのことなのでしょうけど。

それにつけても、小選挙区から出馬した先生方は、まさしくどの面下げて「賛成票」投じたんでしょうかw
生卵ぶつけられるレベルですら無いと思いますけど。

上の表をもっと簡単にしてみました。


これでも、私の感じていることを伝えるのが難しそうなので、グラフにしてみました。

そうです。
健全な「行財政改革」を期待した国民の割合が、この圧倒的な民主党議員数であり、にもかかわらず、その半数以上が、それこそ民意に造反したという事実をお伝えしたいのです。

経済情勢に限らず、この絶望的な政治情勢に幻滅することなく、日々健やかに生きていかねばならない我々の羅針盤とまではいかないが、明確な色分けだけでもしておきたいと思い、次の民意造反率グラフを作成しました。

さて、我々はどうすればよいのか。
最初から国民を食い物にすることが前提の政党から、国民の意思を汲んでおきながら民意造反する政党に変わり、次は独裁者に託しますか?

議論しましょうよ、議論させましょうよ。社会は混沌としているのに議論が混沌とするまでなされてないじゃないですか。
そのためには、一極集中や二者択一ではなく「色々な立場のチーム」に等分の力を持たせて正面からぶつかり合ってもらうしかないでしょう。
それらを議論で昇華することこそが、我々の求める真の政治家ではないでしょうか。

幸せな国民になるためには、力と知恵と正義・誠意が卓越したものにリーダーになってもらうことでしょう。しかし、リーダーの敵対者も含めて存分の力を振り絞ってもらうことが、さらなる幸せな国家ではないでしょうか。

知恵ある国民は、その土俵を作り出さなければいけないと思います。
全員に同じだけ論じてもらい、全員の意見を全員が理解する、ひどく大変なことですが必要な時期に来ていると思います。

2012-06-13

消費税増税

そうそう思い出しました。あまりにもあきらめ切っていたので自問自答の域を出ないでいました。
っていっても何をいってるのかわからないでしょうがw

今月が消費税増税法案の山場だそうです。
日々マスコミから垂れ流される政治家の駆け引き情報を、漫然と、かつ冷やかに眺めていました。

案の定、いつの間にやら「低所得者層への救済策」(なにやら専門用語があったようだが)が、焦点になっているらしく、増税自体(経済対策・構造改革・未来ビジョン=民主党マニフェスト)は問われなくなっているらしい。
※6/11 TVタックル情報w

GDPはおおむね下がっているわけではない、いざなみ景気(2009.3~)と言われたものもあった。
我々は口をそろえて、「景気が厳しいなぁ」とここ10年言い続けてきた。いや15年かw

そして、平均年収300万以下のサラリーマンが40%を超したのは平成21年かららしい。

つまり「庶民経済は完全に疲弊しているのに、国(GDP)はおおむね下がってない」わけだよね。
これは我々の庶民感覚ともあってると思う。
(我々日本人はどうも身を呈してお殿様をお守りすることが美徳としているところがあるからね。武士は食わねど高楊枝とあるように。まぁここではいーや国民性だし。)

消費税増税の売り文句「今回の増税分は社会保障費に全額使われる。社会保障を手当てしなければ国が破たんする」というもの。
(6/11 TVタックル民主党議員発言から。うろ覚えの記憶よりw)

素直に感じることは、「徐々に少なくなってるところから、なけなしの利益を削って、全く無いところに補てんする」というのを、世間では「ジリ貧」って言うんじゃないかって。

「ジリ貧」政策を大の大人が、真顔で説明している姿を恥ずかしいと思わないのだろうか。
国の政策が「ジリ貧」であれば、おのずと民間も「ジリ貧」(=守り)になるよね。

がん治療と少し似てるよねw
「抗がん剤を投与して悪細胞を退治しよう!」

「良い細胞も死んでしまうんですが?」

「それは自己責任だろ。弱いものがいけない。」ってやつw
弱いものがほとんどで、その弱いものが生命に必須要素かもしれないってこと無視しちゃうんだろうね。カッコつけてw
(基本的に強がりが美徳だからね。日本人はw)

だから、がん治療でみんな5年後に半数が亡くなるんだろうな。
この事実を知らなかったから、うちの親父もその中の一人にしてしまった。
しかも死因は「がん」じゃないんだよ。肺炎やら感染症やらの合併症なんだよね。
(ちなみに、死因が「がん」じゃない場合は、がん保険おりないよー。こりゃ生命保険会社も当時はグルだったんだね。)

んで、ここまで言うと次に言ってくるのが「国の借金は経済活性化のために公共投資に半分以上が回されてるんだ。減らすようなら、さらに経済が悪化して、増税以上に苦しくなるし、弱いものはさらに死滅してしまう。だから、消費税のような公平で効率のよい税負担でみんなで苦しみを分かち合うべきなのだ」ってやつ。

「半分以上経済活性化のために投資」してるんなら、ほとんどが死に金(無駄金)になってるんじゃない?
投資に対してリターンがなければ、担当替えは必須で責任者は更迭だよね。
旧社会保険庁が杜撰な仕事してたのは知ってるけど、そこがやってる仕事じゃないもんね。

つまり、お門違いを平気で、いや平気どころかドヤ顔で言える人の気持ちが知れない。
しかし、日本人は波風立てることを嫌い、偉い人や強い人にも弱く、やせ我慢してるんじゃないかな。

「富が1%に集中している」と指摘される昨今、99%に属する我々は、政治家や国を動かす官僚に「やることをやりなさい」の一言がいえず、いつも「物分かりの良い人物」を演じさせられている。

弱いものを守れとは言わない、弱いものが生きていける社会を維持するのが強いものの役割ではないか。
少なくとも現在の、強いもののために弱いものを生かしている社会に対してはNoと言いたい。

プラズマクラスター購入

ブームが過ぎてからの発言では、意味がないのかもしれませんが。

花粉の季節を過ぎても、目が突然かゆくなったり、鼻が突然グシュグシュしたりして、薬を毎日飲むほどじゃないにしても困っていました。

とりあえず、藁にもすがる思いで、先月末、モバイル版の旧版(3900円)とポータブル(6000円)を購入しました。

以来、目の方は快調です。鼻の方もかなり良い感じです。寝起きに鼻詰まりになるくらいで治まっています。

何かの季節が過ぎたからなのかもしれませんが、とりあえず、以前の生活が恐ろしくて常用しています。

2012-03-31

このみごとなあきらめ感

「旧社会保険庁及びその残骸処理含めた杜撰さ」「自民党の代わりにぶっ壊された雇用機会」「茶番劇にもならない政権交代」「農業・エネルギー・産業の上に胡坐をかく既得権益者」「守られる金融・財閥系」「社会経済と当然のように切り離される生活保障」…。

明確な敵・問題が見えれば我々は速やかに対処する能力を持っていると思う。
しかし、孫子の兵法にあるように、まさしく「無形に至る」問題が山積している。
「なぜ?」という疑問も、立派な人たちの言葉でいつのまにかうやむやに。我々に必要なのは正しい教養と意思のある思考か。

論旨のすげ替え、詭弁は横行し、議論という名の屁理屈合戦ばかり、知識あるものは都合のよい組み換えと再生が得意で次の課題を見つけようともしない。
我々は見事に爪と牙を抜かれてしまった。このあきらめムード。

やはり我々はどこかで「神につくられたもの」という受け身の姿勢があるのだろうか。
「誰かに従う」ことが当たり前で「従う」ことに不満を述べている人生は楽である。

我々はいつ、我々自身の支配者になれるのだろうか。