2010-12-07

たったの400票差

住民投票が終わった。竹原市長は残念ながら失職するようだ。
有効数6600人でよいところ、「リコール署名10,197人で行われた住民投票は、有権者数は19,756人のうち、解職賛成は7,543票、反対は7,145票。投票率は75.63%だった」らしい。

僅か398票の差で失職となった。
微妙な結果が影響してマスコミ報道、yahooブログもあまり賑わいを見せていない。
予想通り「専決を許さない市民の良識の勝利」という標題もあるが、二人に一人は「専決賛成」といえるところから、反市長派の口調はどこと無く弱い。

仕方が無いが、市長選を再度行っていただくしかないようだ。

二人に一人の割合で既得権益に群がる連中と、それにNoを突きつけるものたちとの今後の戦いは火を見るよりも明らかだ。
そうだとしても、「良識」というまやかしに近い言葉を使用する偽善者の、手練手管を眺めるのは正直なところ不愉快だ。

2010-11-23

一億総派遣社員

「一億総派遣社員」そうなる日も近いだろう。
人は、資本を持たぬものは、所詮労力を売ることでしか生きながらえることができない。

「ニーズ」に呼応する「労働」は楽しい。「よきにはからえ」に従う「労働」はなんとむなしいのだろう。
資本が集中するとなぜか後者が多くなる。

資本に群がるものはなぜか資本から離れまいと失敗を恐れるようになる。
結果、成果を出さ無い代わりに失敗を出さない手法が最善とされる。

成果とは新たな価値を創造・発見すること。価値判定は資本を持った他者が行い、成果には原資を要する。
今の仕組みは国を含め死に体だ。

資本は小さく分散されるべきだ。大きな資本は元金が保障されその原資となる。
大きな資本はそのまま大きな原資になりうるが、資本を発生させた社会への責任を伴うべきだ。
社会なくして資本はありえず、親の総取りではなく、同等の第二の資本が同社会で発生するよう努めるべきだ。

今はそれとは異なる方向へ進んでいる。我々は文化人ではなかったか。
一億総ブロイラーの道へ迷い無く進む。

平等という名の下に、少ない餌を取り合っている場合ではないだろう。平等という名の下に平等の機会を今一度、文化人として社会人として再考する岐路に立っているのではないだろうか。

派遣が悪いのか正社員が悪いのか、労働者の待遇も問題にすべきだが、むしろ問題とされるべきは資本の再分配制度ではないか。
持たざるものは、労働者待遇に流され、しがみつく。これは至極当然のこと。
大きな川の流れに翻弄され、大きな川の気まぐれにできた支流に感謝するのではなく、文化人なのだから、川を計画配備すればよいのではないか。
少なくとも、ここでいう川は自然・神でなく、個人の所有物だ。

2010-11-13

人口増加

日本も含めて先進国は少子化らしい。
でも世界人口は69億人。
これからも増えるらしい。

東南米のジャングルにすむ原住民が口減らしのためわが子を穴に生き埋めにする動画があった。
アフリカの砂漠を背景に細い手足の骨と皮だけの子供たちの写真をよく目にする。

農耕時代の日本でも、手伝いをさせるために子を増やし、口減らしで姥を捨てる風習があったらしい。
1971年から16年後の1987年で40億人から50億人。
その12年後の1999年には60億人。
そして11年後の2010年には69億人。

208年まえの1802年では10億人だったらしい。

今増えている人口は「手伝い」のためなのだろうか。
なぜ、間引かれる、干からびる命の子をつくりつづけるのだろうか。
命とは危機に瀕するときに子孫を残すようプログラムされているのだろうか。
人の子は生まれて即戦力になるようには出来ていない。

餓死をする環境にも関わらず子を育てようとするのはなぜか。
生存の術が他になく、逃避の結果として子孫を残す仕組みをもっているのか?
それでも、全うできないとしても育てるのはなぜか。

「東北地方は子沢山が多い。雪に覆われた冬では他にすることがないから」という話を昔聞いたことがある。笑い話にも聞こえるしもっともな風にも聞こえる。

人口増加の問題と餓死に瀕する貧困な家庭の子供たちを混同して考えることはできないだろう。
あたかも、餓死に瀕する子供たちが人口増加に寄与しているようなものいいになってしまう。

しかし、富める国の民が増えているのではなく、貧者の国の民が増えているのも事実だろう。
我々は何がしたいのか。

「子孫繁栄」ただこれだけのために生まれ、これだけのために生きる。
神から与えられた我々への命題に抗う、もしくは昇華するために必要なものは、やはり教育・教養ということになるのだろうか。

子供を餓死させてまでも増やし続ける文化は、日本には無い。
子供を増やさなければ、自分達の老後が不安にも関わらず、子をつくることも、ましてや世帯を持つことも敬遠されがちである。
それはなぜか、自分達の生活水準を下げてまでも子孫を残したくないからだ。
貧困における子孫繁栄はこの国においては自滅を意味することを皆理解しているのだ。

原始的な使命を麻痺させるほどの知恵を手に入れたからだ。
しかし、死に方までは社会は教えてくれていない。
また、それを学ぶ知恵をも持ち合わせていない。

人は社会に育てられている。社会から与えられた教養を身につけている。

貧困を受け入れる教養がいずれ5年以内になされるだろう。
単なる貧困ではなく文化的な貧困が発信されることを望む。

2010-09-22

そもそも

国家税収40兆に40兆を超える借金をしていることは正常なのだろうか。
銀行を除く経営者の方々問いたい。家計をあずかる専業主婦の方々に問いたい。年間400万の収入に800万の支出は健全か?将来は安心か?

彼らは言う「80兆のうち何割かが民間に流れることによって経済は成り立っている。その流れを止めれば経済は今以上に破綻する。」

何をそんなに守っているの?
種を蒔くために種を買うのは当然のこと。種を購入する資金がなければ立替援助が必要、これも自然な考えと思う。
立替とは返済やそれに準ずる効果を狙って行うものであり、養育ではないはずだが?
つまり、20年間も収入と同等の立替を行ってきたということは、養育したい何かがあるのだな。
それは何だい?得をしてきたのは誰だい?

他にはこうとも言う「国の借金は同じく国であり、国家財産限度いっぱいまで破綻はありえない。また、超えたとしても、取立て者自身も国であるため即破綻というわけではない。」

魔法の錬金術を発明したわけだね。
これで、アパートの一室で餓死する母子家庭親子がなくなるし、路上生活者もいなくなる。さらには学歴差別もなくなるな。
来るべき高齢化社会においても、安心した年金暮らしができるというものだ。

おかしな話だ。立派な学歴と立派な知能を持った大人たちがやってきたことは、所詮チーズに群がるネズミどもと同じで、ただ違うのは群がっているやつらの言葉に東大試験に出ている用語が使われているだけだ。

2010-09-21

約70年前

下記はYahoo掲示板です。
<http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=200001250&tid=0a45wbaacbbt2bf3a4bgtajlhbfa6ajbey&sid=200001250&mid=2>
リンク切れの可能性があるので、抜粋します。

~~~抜粋~~~(rkmmt162 さんの投稿)
竹原を支持する阿久根市民、おまえらは、北朝鮮人だろ。拉致は、阿久根市民が関与か?恐ろしい。鹿児島県人は怖い人種だな。人肉食ってるんじゃないか?ごめん。阿久根は、鹿児島県人ではなかった。申し訳ない。県知事も頭抱えているんだっけ。裁判費用は、阿久根市民の税金?お笑い。リコールに関する費用も?馬鹿か!阿久根市には近寄るな。拉致されるぞ!
~~~終了~~~

この偏見の入り混じった蒙昧な発言は、本来道端で喚き散らす狂人と同じ扱いで目を合わせずやさしく素通りしてもらう類と思うのだが、なぜこんなにもモヤモヤ感が残るのだろう。
「鬼畜米英」「本土決戦」「一億玉砕」などの言葉が氾濫した時期を思い出すのは私だけだろうか。
村八分的集団いじめにも似た姑息な脅迫文章。
突出した目立つものが攻撃を受けやすい日本風土だからこそ通用するのだろうか、この不快感は。
もちろん、当時のことはつぶさに知らない。
ただ、今でもこのチンピラの泣き言に過ぎない脅迫文が1億2千万のうち100名にでも通用するなら犯罪として欲しい。

2010-09-20

飲んだくれオヤジ

「予算」なんて言葉を使うから、霞ヶ関やら役場やら、腐れ経済評論家などネクタイ締めたやつらが、したり顔で「増税は日本国の危急存亡に関わる事案です」などとほざくことになるのじゃないだろうか。

「子供へのつけ」と名称を変えたらどうだろう。
飲んだくれのオヤジが、子供たちを学校へも通わせず働かせ、自分は酒びたり。
常日頃は、「あれくれ、これくれ、なにしろ、かにしろ」要求のみがなりたてる。
たまにまともに口を開いたかと思えば、似つかわしくない人生訓をしたり顔でたれる。
子はそんなオヤジを、自らの尊厳のために父として敬い従う。

自らを節制せず、境遇に甘え、子に負担を強いる、まさしく「飲んだくれクソジジイ」としてしか私の目には映らないのだが、どうだろう?

2010-09-16

おろかなネズミ

いいだろう、彼を糾弾しなさい。
阿久根市 竹原市長を異常者として、独裁者として、攻め立て、石を投げ、挙句の果て島流しだろうと牢獄だろうと気が済むまで糾弾しなさい。

4人分の食料で10人を養う政策を続けて早20年、子供・孫・ひ孫の未来の食料まで先取りできる技術を得たネズミのようだ。その技は、ネコに教えてもらったのだろうか。

それは、わが子を売る、わが子を食べる所業と何が違うのか。それが知恵なのか?

わが世の春を楽しんでますね、ネズミさん。

ネコに首輪をつけようとする勇者に対して、背後から石つぶて。

帰ってきても石つぶて。

童話と違うのはなぜだろう。


それでも首輪は付けられたのだろうか。
それでも鈴の音を聞き分ける耳はあったのだろうか。

今の現状を、進むも地獄、戻るも地獄というのではないか。

たかが2万人の小さな町の出来事ではあるが、1億2千万人のデスマーチを象徴しているようで気が気ではない。

2010-09-10

ひとつ気付いたことがある

ネスカフェゴールドブレンドは一応コーヒーだが、
ネスカフェエクセラはコーヒーとは似て非なる「なにか」だ。

静かな怒り

俺は多分怒っている。静かに。
もういい加減な報道や政治家のおためごかしはごめんだ。だまされるもんか。
やつらは、人を食い物にするゲームくらいにしか世界を捉えてないのだろう。
表立って注意などしてやるものか。
圧倒的な力で惑わされ力を分散され小さくされる。はたまた粛清が待っている。
機が熟すまで、静かに静かに待っている。
静かに静かに激しい怒りを抱きながら。

2010-08-31

ブログをはじめてみた

「ひとりごと」では寂しいから、ブログにしてみる。

これって過去の「独り言」は、アップできないのかな。