2012-03-31

このみごとなあきらめ感

「旧社会保険庁及びその残骸処理含めた杜撰さ」「自民党の代わりにぶっ壊された雇用機会」「茶番劇にもならない政権交代」「農業・エネルギー・産業の上に胡坐をかく既得権益者」「守られる金融・財閥系」「社会経済と当然のように切り離される生活保障」…。

明確な敵・問題が見えれば我々は速やかに対処する能力を持っていると思う。
しかし、孫子の兵法にあるように、まさしく「無形に至る」問題が山積している。
「なぜ?」という疑問も、立派な人たちの言葉でいつのまにかうやむやに。我々に必要なのは正しい教養と意思のある思考か。

論旨のすげ替え、詭弁は横行し、議論という名の屁理屈合戦ばかり、知識あるものは都合のよい組み換えと再生が得意で次の課題を見つけようともしない。
我々は見事に爪と牙を抜かれてしまった。このあきらめムード。

やはり我々はどこかで「神につくられたもの」という受け身の姿勢があるのだろうか。
「誰かに従う」ことが当たり前で「従う」ことに不満を述べている人生は楽である。

我々はいつ、我々自身の支配者になれるのだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿