2017-10-04

久しぶりの投稿

ほぼ三年、お休みしていたようです。

今朝、通勤途中に「セックスとは、性衝動の解消と快楽と承認行為のために行うものなのだ」と思いつきました。
多くの人が解説しているであろう、この根源的な問いについて言及することほど躊躇させられるものはないですね。

それでも、いったん、逃げずに解を出したいと思います。
「性衝動」という用語が正しいかわかりません。次の意味(造語)で使用しています。
「性衝動とは子孫を作るよう仕向けられるホルモンにより異性と性的交わりを求める気持ちを強く心動かされる状態」のこと。
おそらく、哺乳類でなければ湧きおこらない衝動だと思います。
寄生虫によって操られるカタツムリのように、性衝動に操られる哺乳類なのだと考えています。
それは結果を伴うものなので、人はあらゆる理由、特に異性が納得する理由を、その時々の文化レベルに応じて述べ立てる(契約する)のだと考えます。

性衝動があるから快楽があるのか、快楽があるから性衝動があるのか、おそらく前者かと思いますがよくわかりません。
例えば「嗜好品を楽しむ」場合を極端に表現すれば、「快楽を楽しむ」と言えると考えます。しかし、「嗜好品」を人類全員が楽しむかといえば違います。一部に限られます。
ゆえに、快楽を目的にセックスをする人はいても、快楽のみを目的とするのは無理があると考えます。

「承認行為」を世間では「愛」と表現しているのでないでしょうか。
「性衝動」と「快楽」とそれを肯定する理由(契約含む)を、肯定する意味も含めて「お互いに承認しあう」のだと思います。
しかし、常に「それを肯定する理由」を承認しあっているかといえば違うように思います。
むしろ根源的な意味での承認行動、お互いの存在を認め合う、認識しあう、感謝しあう、といったものではないでしょうか。
存在を認め合う、認められることは幸福なことで、一人では実現しにくいものです。

だからなんだと言われれば、なんでもないと答えざるを得ず、落ち無しで失礼しました。

0 件のコメント:

コメントを投稿